ふわふわのひとりごと

主に平成/令和ライダーについての感想などをゆるゆると書き連ねています。

『仮面ライダー響鬼』履修後の所感

仮面ライダー響鬼全話を観終えた。他の平成ライダーシリーズと比べて少し独特の雰囲気があると聞いていたので以前から興味があったのだが、独特の雰囲気とは何かよく分かった気がする。

 

全編を通して少年こと安達明日夢を取り巻く環境と彼の成長を優しく見守る大人達が話の主軸であり、他の平成ライダーと比べて話の展開が穏やかなのが印象的だ。これがこの作品への好き嫌いを分ける大きなポイントでもあると思う。序盤では私も空気感があまりに違うので困惑した(初回がいきなり謎のミュージカルから始まるし……)。しかし離脱せず観続けていくと、中盤頃にはいつのまにかこの優しい世界観と人間ドラマに引き込まれていた。

 

ところが、30話頃から雲行きが一気に怪しくなってくる。

最も大きなターニングポイントは、桐矢京介の登場だ。それまでの登場人物は優しい人ばかりであり、それがこの穏やかな世界観を支えていた。ところが京介はどう贔屓目に見てもイヤなやつだ。リアルタイムで視聴していた人はさぞかし混乱したことだろう……。彼の登場により、作品の空気感はガラリと変わる。

具体的には、まずテーマソングが突然変わった。そして布施明のゲスト出演で小暮耕之助という人物が登場する。彼もまた、京介登場以前にはいなかったような難儀な性格をしている。

もうひとつのターニングポイントは、朱鬼の登場だ。朱鬼が登場する話自体は2話しかないのだが、これをきっかけに天美あきらと威吹鬼は師弟関係を解消してしまう。個人的にはこの点が最もモヤモヤしたところだ。あきらと威吹鬼には強い信頼関係があるように見えたのに、なぜあきらは突然ポッと現れたばかりの朱鬼について行ったのか。そしてなぜ突然「威吹鬼さんには分からない」などと言い始めるのか。この違和感が解決されることは最後まで無かった。

 

これだけでも視聴者のフラストレーションはすでに相当溜まっているが、さらに納得いかないのが響鬼と京介の関係、そして物語の終着点である。

明日夢響鬼は初回からずっと師弟のような関係にあり、明日夢響鬼を強く慕っているし響鬼明日夢を可愛がっていく様子が見て取れる。それゆえ、少年と呼んでいた明日夢を初めて名前で呼ぶ回は感動もひとしおだった。ところがそれから程なくして響鬼は京介のこともあっさり名前で呼ぶようになる。京介は響鬼を慕っているというほどでもないようだし、響鬼と京介はその時点でまだ全く親しくなっていない。あの名前呼びの感動は何だったのか、と思ってしまう。

そして物語の最後、明日夢が鬼にならない道を選ぶ一方で、京介は響鬼の弟子を続け鬼になっている。40話以上かけて築き上げられた明日夢響鬼の関係はいったい何だったのか、と思わざるを得ない。

そもそも京介に関しては嫌な言動が積み重ねられるばかりで背景の掘り下げがあまりない。どうやら響鬼に亡くなった父の姿を重ね父を超えるため響鬼に弟子入りしたようだが、なぜ父を超えることにそこまで固執しているのかよく分からない上に、響鬼に弟子入りを一度断られてもなお鬼になろうとするのはなぜなのか分からない。それなのに、それなりの志があったあきらや明日夢の諦めた鬼の道を順調に歩んでいる。

明日夢明日夢で終盤の行動に一貫性がないように感じた。それまではずっとブラスバンドに打ち込む少年だったのに、合宿に行けなかったエピソード以降ブラスバンドの話は全く出てこない。同じく今まで打ち込んでいたチアの話が全く出てこなくなった持田ひとみが突然パネルシアターを始め、そして特に動機もないまま明日夢もパネルシアターを始める。そこでたまたま会っただけの親しくもない少女と軽々しく約束を交わし、なぜかその少女の入院に鬼の修行が上の空になるほど気を取られる。そんな経緯で修行をやめるのでパネルシアター関連の何かが「やりたいこと」なのかと思いきや、目指し始めたのは医者(少女の病気からくるモチベーションなのだろうとは思うが)。どうにも腑に落ちない。

 

京介登場以前が非常に魅力的であっただけに、後半はあまりの豹変ぶりになんとも言えないモヤモヤが残った。